セブ救援ミッション:瓦礫の中から立ち上がった希望
- Catholic Fuji Church
- Nov 12, 2025
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今回のセブ北部への救援活動は、まるで神の御手が静かに、しかし力強く働いておられるのを感じる体験でした。それは単なる支援ではなく、思いやりの心が国や文化を越えて動き出した「慈しみの出来事」でした。
磐田、掛川、富士、松本、平塚の信徒や友人たちは、持てるものを分け合うだけでなく、愛と信仰を行動で示してくれました。私は皆さんの思いと寄付を託されてセブへ向かい、最初はほんの小さな支援になると思っていました。しかし日が経つにつれ、それは想像を超える「恵みに満ちた旅」となりました。
最終的には、3台のトラックに米や水、缶詰、衛生用品などを積み込み、家や安心を失った人々のもとへ届けました。地震の余震は何千回も続き、人々の目には今も恐れがありましたが、訪れるたびに感じたのは――これは物資を届けるだけでなく、「希望を届けること」なのだということでした。
被災地では、痛みの中にも笑顔や助け合う姿がありました。子どもたちの笑い声は希望の歌のように響き、母親たちは子を抱きながら静かに祈り、生かされている今日に感謝していました。
メデリンという町で出会った老夫婦のことを忘れられません。崩れた家のそばで、夫は震える手でお米と缶詰を受け取りながら言いました。「神様に見捨てられたと思っていました。でも、あなたたちが来てくれた。」妻は涙ぐみながら、「私たちは一人じゃなかったんですね。」とつぶやきました。
その言葉が胸に深く響きました。彼らは私たちに感謝していたのではありません。神に感謝していたのです。神の愛と憐れみが、ボランティア一人ひとり、寄付者一人ひとり、そしてすべての助けの手を通して届いたのです。
瓦礫の中でも希望は生きていました。隣人の優しさ、母の静かな強さ、遠くから届く支援の思いやり―― まるで神ご自身が壊れた街を歩きながら、「どんな暗闇の夜にも、私はあなたと共にいる」と語っておられるようでした。
苦しみの中でこそ見えてくるものがあります。それは名もなき人々の静かな勇気、人の心に隠れた優しさ、そして「愛が行動するとき、神が働かれる」という神秘です。
崩れた壁の中でも、信仰は決して崩れませんでした。そして本当に―― “Spes non confundit” ― 希望は決して人を裏切らない。







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